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創造的生活者シンポジウムを見に行った

はじめに

今日は「創造的生活者シンポジウム」という、COIのプロジェクトが主催するシンポジウムに行ってきた。3Dプリンターとかその辺の未来についての話がかなり具体的にされていたんじゃないかと思う。

うちの学科の先生たちや慶應義塾大学環境情報学部長、Mozilla Japan 代表理事という僕から見たらとんでもなく凄そうな方々が講演・LTをしてくださった。

内容

僕が一番関心を持ったのは、エリック・フォン・ヒッペル氏のビデオ講演である。彼の話は、企業によるイノベーションの原点にはユーザーによるイノベーションがあることが少なくない(むしろ多い)というものである。

ここで「個人」と言わずに「ユーザー」と言っている点が重要で、「ユーザー」は必ずしも「個人」ではないとも述べられた。「ユーザー」とは「販売者」の対義語であり、すなわち”はじめから営利を目的とせず、自分たちのためにアイディアを出す者”であるのだ。

シンポジウムの前半で、個人の考えやセンスが引き出される場面ばかりに注目していた僕は、考えが浅はかだということに気付かされてしまった。

このプロジェクトが考えるものは、便利なものがあふれる未来ではなく、自分から便利なものをつくる人がたくさんいる未来なのである。

自分たちのために何かをつくる…このワクワクの伝染力は計り知れないものがある。誰かが何かをやって(例えば、友人がゲーム機を改造しているなど)成功しているのを見て自分もやってみたくなったり、また自分がしたことを人につい言いふらしたくなったりといった、文化の中で僕たちに自然に発生する感情がその文化の原動力となるのだ。

このような共鳴体験が友人間や閉じた共同体だけでなく、世界中の人たちと共有できるとしたら、そりゃ面白くないわけがないだろう。

ここで、前半の講演に出てきた「高度な科学技術が前提とされた社会」が思い出される。

ぼくたち若い世代の中で「Twitterやってる?」と聞かれて「やってないよ」と答える人はいても、「スマホ(またはPC)持ってないからやってない」と答える人はほとんど見かけなくなった。

この会話の中では、"スマホやPCを持っていること"、そして"Twitterとはそれらの上で動いているサービスのこと"であるという前提が成り立っているのである。

「高度な科学技術が前提とされた社会」とは、さらにその先の社会を表している。

一家に一台3Dプリンタがあるような社会において、「○○というファイルをダウンロードし、PCから転送して3Dプリンターで出力してください。」などという会話は不要なのである。それこそ、「あれ欲しいな」「じゃああとで送るね」でことが足りるわけである。

ここで先ほど述べたユーザイノベーションを起こそうとすれば、”層”を考えるのがばかばかしくなるほど老若男女が巻き込まれていくだろう。

そして講演者によれば、それは決して遠い未来の話ではないのである。

終わりに

シンポジウムに行くこと自体はじめてなので、どこまで書いていいのか少し悩んだ。でも、皆どんどんtsudaってたし、生放送も無料で流れてたみたいなので大丈夫だろう。

それよりも、語彙の少なさが災いして語弊を招かないかが心配である。少しでも興味のわいた方は他のちゃんとしたページ、例えば

COI-T「感性に基く個別化循環型社会の創造」 » TOP

などを見ていただけると幸いである。

その他シンポジウムでは以下の本が紹介されていたので、精読したいと思う。